前回(その1)から一歩進めて、今の私には推測のレベルにも拘らず、自我のメカニズムがぼんやりとしているものを、少しでもその正体を突き止めたいという思いです。
もし、主観的な意識を観測して分析できるようになったとき、つまり「意識のハードプロブレム」の壁をクリアできたときには、その技術的特異点(シンギュラリティ)が物事に及ぼす影響は計り知れないものと思います。
この根幹を成す公理(意識の科学的な理論)として意識の統合情報理論(IIT、Integrated Information Theory of Consciousness)と呼ばれる理論があります。
意識研究にブレークスルーを起こす可能性がある理論として注目を集めていますが、哲学的なアイディアが含まれ、バージョンアップを重ねており、理解が非常に難しいということが、私の情報としてインプットされています。
ですが、私の生涯の研究テーマとして行くには、地道に理解する努力を惜しまないということにしましょう。IITでは統合された情報量を、ギリシャ文字のφ(ファイ)で表し、それこそが意識そのものだと定義しているので、まずはそのことの理解から始めていきます。
ここで、突然話を変えてすみませんが、前回(その1)でも紹介しましたが、連載小説『自我の発見』という題目でこのブログに趣味(文化的)な話として投稿を始めましたが、自我のメカニズム発見までのプロセスをこの小説のストーリーの中に入れたいと思います。つまり、登場人物として日本人研究者の山崎剛(仮名)が2036年に自我のメカニズムを解明して、ノーベル賞が授与されるまでのストーリーをこの小説の起承転結のどこかに入れるということです。
また、AI(人工知能)による技術的特異点(シンギュラリティ)が物事に及ぼす影響についても興味があったので、市営の小諸図書館で以下の書籍を拝読しました。
『AIで変わる法と社会』(編者 宇佐美誠)
書物を編集する人を「編者」といいますが、6人分の原稿をまとめて1冊の本にした編者が宇佐美誠氏であるかと思います。来るべきAI時代の個人・社会・法をめぐるスリリングな議論と題して、とても内容の濃いものでした。
私が小説の中で描こうとしている100年後の人造人間ですが、人間と共存するためには様々なハードルをクリアしなければならないということを学びました。スリリングな議論の中から私なりに理解したつもりですが、法律の専門用語の理解には苦しみました。
この議論では表紙の見出しにある、以下がわかりやすく語られたものと思います。
・AIに心は生まれるか?
・AIにない人間らしさとは?
・個人とAIの自律はどう違う?
・自由や権力はどう変わる?
・大失業時代の正義論とは?
・未来の刑事責任は?
・AI裁判官は可能か?
特にAIを実装したシステムの代表的なものに完全自動運転(レベル5)の自動運転車があります。ここに組み込まれる制御アルゴリズムはAI・ロボットの自律と責任問題につながります。トロッコ問題の応用ですが、この著書の中で緊急避難の例として、例えば5人の通行人を回避するために急転回して別の通行人一人を撥ねることが許されるか、急ブレーキで搭乗者一人を犠牲にするのならどうか、という故意でも過失でもない問題が生じます。
これらは、遠い将来ではなく、早期の法整備が求められます。
総じて、AIが人間と同等な心や人間らしさを将来持ち得るかは科学技術の進歩に委ねられますが、本著書では、AIを個人と同様に、規範的な意味で自立した主体として承認するかどうか決断を迫られる時が来るかも知れないとしています。
それは、まだ遠い将来のことであろう、と。
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